【カラテトランスフォーマー】vol.03 谷口亜翠佳先生~目指すは、空手の三冠王

いつも明るく朗らかに、東京ベイ港支部で小井師範をサポートする谷口亜翠佳先生は、28歳の時に新極真会の門を叩いた。幼少の頃に剣道を習っていたことはあったが、空手とは無縁の生活を送っていたという。それにしても、なぜ28歳にして空手に目覚めたのだろうか。キッカケを聞くと、その経緯に驚かされる。

「友達がスノーボードやスキーとかで盛り上がっている時に、私もスノーボードにはまっていきました。もともと趣味で始めたことだったのですが、良いのか悪いのか、負けず嫌いな性格も手伝ってか、何となく当たり前のように毎週土日は必ず山へ行くようになったんです。一回、始めてしまうと止まらなくなってしまう性格なので、インストラクターの資格まで取ってしまいました。」

 仕事は、18歳から関わってきたコンタクトセンターの会社で働いていたが、週末ボーダーとしての顔も持っていた。「当時は、いつ休んでいたんだろうって感じでした」とまるで他人事のように笑い飛ばすが、行動力はパワフルだ。問題はオフシーズンの過ごし方。さらにスノーボードを極めるためには、オフシーズンの体力強化が必要となる。そこで浮上したのが、じつは空手だった。

「昔剣道をやっていたので、同じく武道をやろうと思いました。周りの方に相談したところ経験者がいたこともあり、『空手がいいんじゃない?』と勧められ、見学することになったんです」

 調べていくうちにフルコンタクトとノンコンタクトがあったが、どうせやるならとフルコンタクト空手を選択。新極真会の総本部道場へ足を運ぶこととなり、見学当日に入門を決意。スノーボードの強化の一環としてスタートした空手だったが、気づけばその魅力にはまっていった。もともと才能があったのか、メキメキと頭角を現し、型の試合で上位に入るようになっていく。2008年に開催された第15回長野県大会の一般の部で優勝すると、2009年のカラテドリームカップでは一般女子で準優勝。それ以後も、型のトップ選手としての地位を築いていった。  スノーボードから空手中心の生活へ変わり、東京ベイ港支部に所属してからも、現役選手と指導員の二つの顔を持つようになる。納得できるところまでやり抜く性格が功を奏したのか、型だけではなく組手の強化にも取り組み、2012年のドリームカップでは、全国大会では史上初となる型と組手の二冠王に輝いた。次なる目標は、全日本の舞台での活躍になるが、きっと今後も納得するまで突き進むことだろう。もちろん、指導についても真剣に取り組んでいて、支部の発展に少しでも貢献したいという思いも強い。

「指導では、小井師範から沢山のことを学ばせて頂きながら、自分が出来るアシスト、自分がやるべきことを考えながら毎回稽古に出ています。子どもを叱らないとならない場面でも“何故、この子はこのような行動を取るのかな?”と瞬時に色々と考えます。子どもは表現力がまだ少ないので、きっと何か理由があるのではないかな?とまずは、その子の立場、考えをくみ取るよう心がけています。私は、まだ子どもを育てたことがないので、その立場をわきまえながら、叱るべき時はしっかりと。楽しむ時は思いっきり一緒に楽しんで笑いあう。保護者の皆さんはもちろん、子どもたちからも逆に教わるつもりで指導をさせていただくようにしています」

 二冠王となった谷口先生が目指すのは、全日本だけではなく、指導員としてのスキルアップ。三冠王になる日は、そんなに遠い未来ではないのかもしれない。


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【カラテトランスフォーマー】vol.02 広井孝臣さん~43歳のリスタートーー遅咲きの青春~

 広井孝臣さん(44)は、幼少の頃に伝統派空手を習い、高校生の時には少林寺拳法を経験。より実戦に近い武道を求めて極真空手の門を叩くなど、強さへの憧れが強い青年だった。ところが、黄帯を獲得後、社会人となり大阪へ赴任してからは道場から足が遠のいてしまう。   それから20年――。子供(娘)も大学生になり、石油会社の製油業務部長としての地位も得た。少しずつだが生活にゆとりが出てきたところへ、自宅の近くに東京ベイ港支部(当時=品川小井道場)がオープンしたニュースが飛び込んできた(2010年)。空手の道を断念したことが、大きな後悔として残っていたのだろう。忘れ去られていた、熱い思いが込み上げてくる。広井さんは、小井泰三支部長の携帯へ連絡を入れて体験入門の許可をもらう。懐かしい思いとともに道場へ足を踏み入れると、小井支部長の丁寧な対応に驚いたという。

「指定した日に道場へ着いたら、『よくお越しいただきました。お待ちしておりました』と言っていただいたんです。そんなことを言って出迎えていただける先生は、なかなかいません。普通は、近くにいた道場生が対応してくれて、『こちらで見ていてください』と案内されるものです。それなのに、先生が案内してくれて、しかも『お待ちしておりました』なんて言ってくれるわけですから、これには驚きましたね」

 広井さんは、すぐに入会を決意する。最初は趣味程度に再開したつもりだったが、気づけば週3回も稽古に参加する常連になっていく。まるで学生の頃に戻ったかのように、稽古に明け暮れることが多くなっていった。級位も順調に上がり、シニアの大会にも積極的に出場。たまに通うスポーツクラブではウエイトトレーニングもこなし、最強への道を再び追いかけることとなる。ここまで没頭して、はたして仕事に支障はないのだろうか!?

「会社の同僚には『週3回も空手を習うサラリーマンはいないだろう』って、よく言われます。前日の夜にミット打ちを10ラウンドもやると、さすがに次の日は体が重いですけど楽しいです。今、石油製品の需要が落ちてきて業界は厳しい時期なんですが、ミットを思い切り叩くとストレスが発散できるし、そうした不安を吹き飛ばせるような気がします」

 大会の翌日は、必ず、休暇をとって仕事を休むようにしている。試合の疲れを抜くこともあるが、「なにかがあったら会社に迷惑をかけるので」というのが理由だ。仕事が忙しくて残業が続く時は、「途中で抜け出して稽古をしてから戻る」なんて離れ業をすることもあるそうだ。いずれにしても、仕事と空手のバランスをうまくとっているのだろう。 また、空手の経験値があるため、道場では相談役的な立場にもなっている。

「シニアの中でも年齢的には高い方だし、ほかの会員のみなさんよりも空手の経験値があるからでしょうね。30歳を越えてから空手を始めた人も多いので、そういう人たちをリードしたいという思いもあります。だから支部で最初に黒帯を取って、大会で優勝したいですね」

 空手をリスタートして約1年半。遅咲きの青春が、満開になる日は近い。


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【カラテトランスフォーマー】vol.01 西畑誠さん~「メタボ対策」から「生涯修行」へ~

西畑誠さんが東京ベイ港支部(当時は「品川小井道場」)に入門したのは、道場がオープンしたばかりの2010 年。20 代の頃に在籍していた福岡支部の師範である緑健児代表の勧めで、約10 年ぶりに道着に袖を通した。目的は「メタボ対策」だったという。

「社会人になってからは運動をほとんどしていなかったので、完璧に体がなまっていました。定期的に何かやりたいと思っていましたし、リフレッシュのためにもいいかなと思って入門したんです。他の道場は90 分のクラスが多いんですけど、ここのゼネラルクラスは60 分だったので、それならやれるかな、という考えもありましたね(笑)」

 そうして週1 回、品川港南道場の土曜日のクラスに通うことに。やがて会社(六本木ヒルズ)の近くに麻布十番道場ができたため、火曜日も仕事を早めに切り上げて道場に足を運ぶようになった。

「10 年のブランクは不安でしたけど、無理のない稽古内容なのですぐに馴染めました。むしろ以前より体力がついて、ハードワークをしても疲れなくなりましたし、営業などのフットワークも軽くなりました。道場には30 代、40 代、50 代、60 代といろいろな世代がいるので、人生勉強になりますし、新たな人脈が仕事に生きたりもしています。これは普通のスポーツジムでは得られない、武道の道場の良さだと思います」

 日本の大学を卒業した後、アメリカに留学した西畑さんは、25 歳の時にシアトルで空手と出会っている。海外で学ぶ日本の文化は新鮮だった。武道の魅力にとりつかれ、26 歳で帰国すると、地元福岡で新極真空手の門を叩いた。そこで出会ったのが、アメリカで映像を見て憧れていた緑代表。1 年半後、東京での就職を機に道場を離れたが、緑代表との交流は続いた。ヤフー→アップル→グーグル(現在)と転職しながらキャリアアップしていく中、仕事として自然に新極真会をバックアップするようになる。仕事一筋だった10 年間も、空手家たちの生き方や哲学にはポジティブな影響を受け続けていた。
 東京ベイ港支部入門から1年半後の2012 年2 月、ついに試合に出場。第2 回首都圏交流大会で初戦突破に成功した。福岡時代の戦績は1 戦1 敗だったから、10 年越しの初勝利だった。続く二回戦で敗れたが、そこには初めて味わう達成感があった。

「試合に向けての稽古はキツかったんですけど、また出たいとすぐに思いました。二回戦の相手が110 ㎏もあったので、今度は軽量級で出ようと思って減量しています。年に一回の試合、それと昇級審査が今の目標ですね」

 モチベーションの源泉は、もう一つある。ほぼ同時期に入門した息子、馨君の存在だ。

「週末は子供と一緒に道場に行って、それぞれのクラスで稽古をして帰ってきます。家でも蹴りを教えてあげたり、軽い組手をやってみたり。親子で同じものに取り組むのは楽しいです。子供はどんどんうまくなっていきますから、自分も負けないように黒帯を目指して、黒帯になってからも稽古を続けて、生涯空手をやっていきたいですね」


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