「継続は力なり」
カラテドリームフェスティバル2021中学3年生男子軽量級王者であり、今年5月の第7回JFKO全日本大会で一般部デビューをはたした大沢彪の足跡をたどっていくと、続けることの尊さや努力の大切さを強く実感することができる。
「いじめなどから自分の身を守れる強い人間になれるように」という両親の願いから、3歳だった2010年に自宅近くにオープンした品川小井道場(当時)の門を叩いた。「打たれるのは痛いし、小井先生にも叱られるし、何で行かなきゃいけないんだろうって。その頃は空手が好きじゃなかったです」と、嫌々ながら週3回の稽古に通う幼少期を送った。周囲の同年代と比較して体が小さかったこともあり、たびたび出場していた試合でも結果が出なかった。大沢が小学2年生のある日、父の豪さんが送り迎えのために道場に行くと、「想像以上に弱かった」息子の姿に驚いたという。
豪さんに空手の経験はなかったが、走ったり、縄跳びをしたりと、道場で見た稽古を参考に自主練をスタートさせた。ミットを購入して自宅で前蹴りの稽古を始めると、ある日道場で「彪、前蹴りいいね」と谷口亜翠佳師範代が褒めてくれた。うれしかった。稽古をすれば道場で褒めてもらえるんだ――。東京佐伯道場錬成大会の初級の部で初優勝できたことも成功体験となり、大沢の空手への向き合い方が少しずつ変化していった。
3年生になると毎月のように大会へ出場するようになり、地方にも遠征した。目標としていた日本一の舞台・カラテドリームカップ(現・カラテドリームフェスティバル)への出場も許されたが、結果は二回戦敗退。この敗北をきっかけにますます豪さんに火がつき、月、木、土は道場、火、水、金、日は自宅での自主練と、大沢は休みなく空手漬けの毎日を送った。「自分も身をもって体感しないとダメだ」と、息子のために自身も東京ベイ港支部へ入門した豪さん。稽古後に父子ふたり、道場下にあるファミリーレストランで食事をしながら空手談義をするのが楽しみだった。
「これだけ稽古をしていたらいつか必ず勝てるようになるし、一度勝てるようになったらどんどん勝てるようになるから、あきらめずにがんばりなさい」という小井泰三師範からのエールを励みに大会への出場を続けると、言葉の通り県大会やブロック大会などで結果が出るようになっていった。中学受験が控えていたため、当初は小学5年生夏のドリームフェスティバルを区切りと考えていたが、大会の2週間前にケガをして悔いが残る結果となったため、大沢本人の意志で小学6年生のドリーム2018まで続行することになった。
35名が参加した小学6年生男子軽量級のトーナメントで3連勝し、初入賞となるベスト8進出をはたした大沢。この階級を制したのは、幼少期から大沢と切磋琢磨し、友人でありライバルでもあった同じ東京ベイ港支部の野口颯太だった。
受験期間のブランクは大きく、中学生になるとしばらく大会の入賞から遠ざかったが、2019年12月の第24回全関東大会中学1年生男子軽量級で復活の優勝をはたした。そしてコロナ禍を経て開催された2021年6月の第4回大分県大会中学2・3年男子上級の部で、当時中学3年生だった大沢は忘れられない経験をすることになる。159cm、47kgの大沢にとって、体格で勝る選手と連戦する無差別級のトーナメントはダメージが深く、何とか決勝まで駒を進めたものの、胸に強い痛みを覚えたため決勝戦は棄権を考えていた。小井師範にそのことを伝えると、「彪がそう思うならそれでいいけど」という言葉に続いて、こう諭されたという。
気持ちのこもった熱いメッセージに、大沢の返事は「押忍」しかなかった。決勝戦前の順番待ちで並んでいる大沢のもとへやってきた小井師範は、彼の耳元でささやいた。「出るからには勝て」。この言葉で火がついた大沢は、172cm、80kgの体格を誇る堀之内陽逞選手に気持ちで向かっていった。相手のパワーの前にしばらくは劣勢の場面が続いたが、一瞬の隙を見逃さなかった大沢が飛び後ろ廻し蹴りを顔面にヒットさせ、技有り――。相手だけではなく、自身の弱い心にも打ち勝った価値ある優勝だった。
小井師範がそう振り返った大分県大会後、9月の全北陸大会、11月の全九州大会への出場を経て、12月のカラテドリームフェスティバル2021を迎えた。コロナ禍のため第53回全日本大会と同時開催されたこの大会で、ついに10年以上の努力が結実する。中学3年生男子軽量級に出場した大沢は、決勝で広島支部の鈴木来飛選手と対峙した。本戦で勝負をかけるも引き分け。体力が尽きかけていた延長戦は劣勢となるが、後ろ蹴りで大逆転の技有りを奪い、悲願の初優勝をはたした。「ドリームの試合を控えた亜翠佳先生が通りかかって、『優勝しました』と報告したらすごく喜んでくれたんです。亜翠佳先生はドリームで何度も優勝しているんですけど、それでも試合前は不安があると話していました。その時に『彪が優勝したのを見てがんばらなきゃと思った』と言ってくれてうれしかったです」と大沢。結果的に、谷口師範代と揃ってドリームの頂点に立った。
試合後、配信を買ってスマートフォンの画面越しに闘いを見守っていた豪さんが、会場の出入口で拳を突き上げて息子を出迎えた。しかし、大沢の背後には決勝戦の相手である鈴木選手が歩いていた。そうとは知らぬ父を「やめて」と制し、決してその場では喜びを表わそうとしなかった。「小井先生からも、他の格闘技と違って空手は武道だから、試合に勝ってもガッツポーズをしないと教わっているので。喜ぶのはいいんですけど、あとでねって」。
「努力の人」と呼ばれる大沢を象徴するエピソードがある。「18時からの稽古で、単純に遅れてくる18時10分はダメなんです。ただ、塾やいろいろなことがある中で、10分遅れてでも稽古をしようという子の18時10分は、褒めたたえないといけないんです。大沢君の場合は最後の15分だけでも稽古に来るんですよ。できる限りのことをやる。与えられた時間を精一杯食い尽くす姿勢を持つ。それが、試合場に立った時に迷いがない精神状態につながるんです」と小井師範。谷口師範代は「彪は最短で終了時刻の5分前に来たこともありました。走ってきたから汗だくで。道場に駆け込んできて挨拶してバッグを置いて準備はものの数秒。上はTシャツのまますぐにサンドバッグに向かっていき全力で叩いて蹴って。超短時間なのにしっかり仕上げるんです」と、その姿勢に賛辞を贈った。
高校へ進学した大沢に、仲間とのしばしの別れが待っていた。去る7月2日にカナダへ留学した同い年の村上四季だ。「入門した頃、四季はひとつ上のクラスで稽古をしていましたし、『リーダー感』もあったので年上だと思っていたんです。だから、小学生の頃はそこまで交流はなかったです」と、大沢にとってつねに先を行く存在だった。
中学生になり、ひとり、またひとりと同年代が空手を離れる中、いつしか村上は誰よりも分かり合える同志となっていた。稽古でともに汗を流す機会が増えてからも「相手の呼吸の瞬間を逃がさず攻撃を仕掛けるセンスだったり、四季は天才だと思います」と、尊敬の念を抱いていた。現在は遠く離れたカナダで新生活を送る村上に対し、「10年以上一緒にがんばってきた仲間ですし、一緒に出稽古に行ったりJFKO全日本大会にも出たりしたので、正直寂しいです」と大沢。ただ、村上がいなくなったことによって、彼の心にある自覚が芽生えていた。
支部の生え抜きとしてユース・ジュニア年代の先頭を走る大沢は、村上とともに今年5月の第7回JFKO全日本大会軽量級でフルコンタクトルールに初挑戦した。年上の強豪がひしめく上、軽量級のリミットである60kg未満を大きく下回る体重54kgの大沢にとって壁は厚く、一回戦で誠真会館の青野涼選手に敗れたが、この試合を経験したことで多くの収穫があったという。
大沢と村上をJFKO全日本へ送り出した小井師範は「小さい頃から見ている子たちが、一般部という大海原に出て行きました。よくここまできたという思いと、出て終わりじゃない、ここからが勝負だぞという思いがあります」とさらなる期待を込めた。「あの子たちは本当の子どものような存在」と大沢と村上を温かい目で見守ってきた谷口師範代は「日本に残る彪はJFKOを経験した支部のリーダーという存在になったので、もっと上を目指そうと。もう私はガッツリの組手の相手はしてあげられない。でも彪の特性を活かした技や分析、指導はできる。そして空手に限らず悩んだ時は必ず導いてあげるからついてきなさい。これからも一緒にがんばろう」とエールを送った。
豪さんは「空手を始めてから彪は精神的に強くなりましたし、人に優しくて暴力を嫌うんです。そういう考えを持てたのは空手をやっているからだと思います。小井師範と亜翠佳先生には本当に感謝しています」と、父子二人三脚で歩みを進めた日々を浮かべ、目を細めた。結果が出ずに苦しんだ時期も、決してあきらめることなく困難に立ち向かってきた大沢は「空手をやっていることで自分の中に強みみたいなものができましたし、空手があったからこそ小井先生、亜翠佳先生、道場の仲間たちと出会うこともできました」と、空手や東京ベイ港支部への感謝の気持ちを語った。