西畑誠さんが東京ベイ港支部(当時は「品川小井道場」)に入門したのは、道場がオープンしたばかりの2010 年。20 代の頃に在籍していた福岡支部の師範である緑健児代表の勧めで、約10 年ぶりに道着に袖を通した。目的は「メタボ対策」だったという。
「社会人になってからは運動をほとんどしていなかったので、完璧に体がなまっていました。定期的に何かやりたいと思っていましたし、リフレッシュのためにもいいかなと思って入門したんです。他の道場は90 分のクラスが多いんですけど、ここのゼネラルクラスは60 分だったので、それならやれるかな、という考えもありましたね(笑)」
そうして週1 回、品川港南道場の土曜日のクラスに通うことに。やがて会社(六本木ヒルズ)の近くに麻布十番道場ができたため、火曜日も仕事を早めに切り上げて道場に足を運ぶようになった。
「10 年のブランクは不安でしたけど、無理のない稽古内容なのですぐに馴染めました。むしろ以前より体力がついて、ハードワークをしても疲れなくなりましたし、営業などのフットワークも軽くなりました。道場には30 代、40 代、50 代、60 代といろいろな世代がいるので、人生勉強になりますし、新たな人脈が仕事に生きたりもしています。これは普通のスポーツジムでは得られない、武道の道場の良さだと思います」
日本の大学を卒業した後、アメリカに留学した西畑さんは、25 歳の時にシアトルで空手と出会っている。海外で学ぶ日本の文化は新鮮だった。武道の魅力にとりつかれ、26 歳で帰国すると、地元福岡で新極真空手の門を叩いた。そこで出会ったのが、アメリカで映像を見て憧れていた緑代表。1 年半後、東京での就職を機に道場を離れたが、緑代表との交流は続いた。ヤフー→アップル→グーグル(現在)と転職しながらキャリアアップしていく中、仕事として自然に新極真会をバックアップするようになる。仕事一筋だった10 年間も、空手家たちの生き方や哲学にはポジティブな影響を受け続けていた。
東京ベイ港支部入門から1年半後の2012 年2 月、ついに試合に出場。第2 回首都圏交流大会で初戦突破に成功した。福岡時代の戦績は1 戦1 敗だったから、10 年越しの初勝利だった。続く二回戦で敗れたが、そこには初めて味わう達成感があった。
「試合に向けての稽古はキツかったんですけど、また出たいとすぐに思いました。二回戦の相手が110 ㎏もあったので、今度は軽量級で出ようと思って減量しています。年に一回の試合、それと昇級審査が今の目標ですね」
モチベーションの源泉は、もう一つある。ほぼ同時期に入門した息子、馨君の存在だ。
「週末は子供と一緒に道場に行って、それぞれのクラスで稽古をして帰ってきます。家でも蹴りを教えてあげたり、軽い組手をやってみたり。親子で同じものに取り組むのは楽しいです。子供はどんどんうまくなっていきますから、自分も負けないように黒帯を目指して、黒帯になってからも稽古を続けて、生涯空手をやっていきたいですね」