カラテトランスフォーマーPROFILE

 コロンビア生まれの日本人。今年の4月に東京ベイ港支部の門を叩いた千野崇さん(39歳)の経歴は、いきなり異色である。コロンビアで生まれ、メキシコで幼少期を過ごし、アメリカ、ポルトガルなどを転々とした経歴を持つ。父親が商社に勤めていたため、兄とともに4人家族で世界各国を渡り歩くことは宿命ともいえた。

 だが、高校2年生の2学期、17歳の時に日本で一人暮らしをすることとなった。

「それまではずっと海外で暮らしてきましたが、いきなり親父に日本の高校へ通うように言われたんです。しかも帰国子女が多い高校ではなく、普通の私立の学校に入学するように勧められました。親父とは日本語で会話していたために言葉は理解できましたが、最初は普通に漢文・古文の授業が行われていて、『なんだ、これ!?』と驚きましたね」

 千野さんの父親は、先見の明があった。日本の企業に就職してから海外に赴任するのと、グリーンカードを取得して最初から海外の会社で働いているのでは、待遇に違いがあるからだ。前者はお客さん扱いで優遇されるが、後者は這い上がるまでにかなりの努力が必要になる。東洋人というだけで、差別されることもあるようだ。このまま海外で生活していれば、就職した後に息子が困るのではないか。そう決断しての非情に徹した日本での一人暮らし命令だった。

「最初は学校の勉強の進め方がアメリカと違うので戸惑いましたが、日本は便利だし、交通網もしっかりしていて食べ物も豊富です。人が優しくて差別とかもあまりないし、本当にいい国だなと思いました。映像で屋台のシーンを見て行ってみたいと思っていましたし、長く海外に住んでいたので日本の良さを強く感じることが多かったです」

 父親の狙い通り千野さんは日本へ馴染み、一流の投資銀行に就職。インベストメント・バンカー(投資銀行マン)として国内外で頭角を現していった。やがて結婚して二人の息子が誕生。すくすくと育つ我が子を見て、武道を習わせたいと思うようになっていく。  

「私が小学1年生から小学6年生まで、海外でキックボクシングを習っていたこともあり、格闘技に興味があったんです。せっかく日本に住んでいるのならば、空手を習わせてみたいと思うようになりました。調べたら自宅の近くに東京ベイ港支部の道場があることを知り、長男と一緒に入門を決めたんです」

 長男の峻君(6歳)はサッカーや他のスポーツを習っても長続きはしなかったが、空手だけは違ったという。週3回、道場へ通うだけではなく、自宅で父親と一緒に型を覚えたり、股割りをするなどその熱血ぶりは半端ではなかった。

 「この前、昇級審査があって息子と一緒に私も受審しましたが、なんと飛び級で合格したんです。あまりにも嬉しくて、息子とハグして喜びました」

 峻君が空手にはまって……と嬉しそうに語る千野さんだが、息子以上にどっぷりと浸かっているのは間違いない。理由を聞くと厳しい現状を打ち明けた。

「私の仕事は、何千億ものお金をかけて企業の買収のお手伝いをするなど、M&Aをメインにしています。ライバルを蹴落とすためには手段を選ばずに非情なことをする世界ですし、つねにピリピリしている業界でもあります。取り引き先に訴えられて裁判に発展することもありますし、ミスをすれば席がなくなることだってあります。そんな世界に身を置いていますので、道場へ行った時の人の温かさ、ピュアな心に驚きました」

 少し前に流行したドラマの半沢直樹ではないが、つねに職場が戦場と化しているのが、インベストメント・バンカーという仕事の特徴なのだろう。その正反対に位置するのが、千野さんにとって空手の道場ということになる。闘う場所が癒し効果になっているのは常在戦場の千野さんらしいが、もしかしたら解毒作用が働いているのかもしれない。

 だが残念ながら、2014年7月末を最後にニューヨークへ転勤することとなってしまった。新極真会のニューヨーク道場へ通うことになるため、慣れてきた東京ベイ港支部とはしばしの別れとなる。

「転勤の話を聞いた時、最初に頭に浮かんだのは生活面とかのことではなく、空手ができなくなるということでした(笑)。せっかく道場のみなさんに仲良く接していただき、仕事も順調で、これからという時だったのに残念です。でも、オフィスの近くに道場があると聞きましたので、空手は続けられそうです。日本へ帰れるのは3年になるのか10年になるのか分かりませんが、戻ってきたらまた東京ベイ港支部に通います」

 仕事を忘れ、人間らしくいられる場所。コロンビア生まれの半沢直樹が道場に見つけたのは、自分の居場所だった。ニューヨーク道場でも東京ベイ港支部魂は、いつまでも生き続けることだろう。そして闘う投資銀行マンの居場所は、いつまでも変わらずに道場の片隅に残り続ける。