カラテトランスフォーマーPROFILE

 「選挙前なのに、よく試合に出ましたね」

 新極真会東京ベイ港支部に所属する七戸じゅんさん(54歳)は、空手の大会に出場することを聞いた仲間や関係者からそう驚かれたという。港区議会議員の総務常任委員長も務めている七戸さんは、4月26日に行なわれる港区議会議員選挙へ出馬する。昨年9月に入門したばかりのピカピカの白帯だが、選挙の約1ヵ月半前の2015年3月8日、都内の港区スポーツセンターで開催された「第5回総本部空手道交流大会」に出場した。

 「入門して数ヵ月しか経っていませんでしたが、せっかく試合があるんだから出てみようと思いました」(七戸さん)

 ケガをすれば選挙活動に影響が出る可能性があり、しかもわずかなキャリアの挑戦は無謀とも思えた。それでも、まったく臆することがなかったのだから肝が座っている。対戦相手が青帯8級の選手に決まると、ケガを心配した小井師範や谷口先生から最終の出場意思確認があった。だが、「ボディをガードしておけば大丈夫」と覚悟を決めて本番に臨んだ。

 試合当日。白帯を締めた新人がエントリーした階級は、第6試合場で行なわれたシニア50歳以上男子重量級デビュー。しかも第1試合だ。防具をつけているものの、ダメージを受ける可能性は十分にある。対戦相手と対峙した七戸さんは、試合が始まると猪のごとく突進した。突きや蹴りを出すが、わずか半年のキャリアでは正確に当てることは難しい。技の正確さを欠いて判定負けに終わったが、初戦にしては胸を張れる内容だった。

 開会宣言をした武井雅昭・港区区長に笑顔で迎えられ、応援にきてくれた仲間の労いの言葉に涙が出そうになったという。スーツに着替え、本部席で試合を観戦する英雄の顔は、試合に負けた悔しさよりも満足感に包まれていた。

「試合をした時に痛みはなかったんですが、翌日、左腕が紫色になってみすみる腫れ上がり、ワイシャツの腕のボタンがつけられなくて袖をまくっていました。さすがは新極真空手ですね」

 いまでこそ恰幅の良く見える七戸さんだが、青森で育った幼少の頃はガリガリでひ弱な少年だった。中学生の頃にバドミントン部で汗を流していたほかは、どちらからというとインドア派。極真空手の創始者・大山倍達総裁の半生を描いたマンガ「空手バカ一代」を読み漁り、密かに憧れを抱いていたようだ。

 明治大学政経学部を卒業後、法政大学大学院経営学修了MBAを取得。株式会社リクルートに入社してから経験を積み、ソフトウェア開発会社および財務系人材系紹介会社を設立した。この頃に東京青年会議所へ入会し、港区委員会委員長を任せられた。政治に関心を持ち始め、当時の建設大臣の大塚雄司氏に強く薦められたことをキッカケに港区議会議員選挙へ立候補。平成15年、二度目の挑戦で見事に当選した。空手との接点は、政治の世界へ足を踏み入れてからだった。

「昭和35年生まれの35年会という会がありまして、12年前にそこで新極真会の緑健児代表に初めてお会いしたんです。極真空手の憧れていたものですから、気持ちは少年時代の頃に戻っていました。そして、5年前に小井師範が港区に道場を出されると聞いて、オープン用のポスターを貼るお手伝いなどをさせていただきました。また道場生が大会で結果を出された時に武井港区長を表敬訪問していただいていますが、アポイントメントを含めて橋渡しのお手伝いをさせていただきました。一昨年は年末の忘年会に港区議員としてゲスト参加させていただきましたが、昨年は道場生として顔を出させていただきました」

 草ラグビー、フルマラソンを完走するなどアクティブな活動をしているが、「体が動かなくなる前に、やりたかったことをしたい」と入門を決意。50歳を過ぎてから、ようやく憧れの武道へと辿り着いた。いきなり試合を申し込んだり、道場の体験入門を省略するところは、七戸議員の真っ直ぐな性格を表している。

「政治もそうですが、即断即決が私のモットーです。武道、空手は礼に始まり礼に終わります。正々堂々と勝負し、相手を労わることを忘れません。政治も空手も誠実に向かい合えば、必ず結果がついてくると信じています」

 港区をこよなく愛し、日本の発展を縁の下で支える七戸議員の次の決戦は、2015年4月26日。もちろん空手スピリッツで、難関を乗り越えることだろう。