山中ファミリーの中で最初に空手を習い始めたのは、長男の脩叶(しゅうと)君だった。3年前の2010年、彼が4歳の時に、新設されたばかりの東京ベイ港支部・品川港南口道場の門を叩いている。父・淳司さんは、「息子は体が小さく、アレルギーや軽度の喘息が出ていたので、武道をやらせたいと思っていました。道場へ通い始めてからは、不思議と一度も発症しなくなりました」と当時を振り返る。“健康で強い子に育ってほしい”という思いは、親ならば誰でも持っていることだろう。空手を習うのは自然の流れともいえる。
また、甥っ子が空手をやっていたことも背景にあった。ネットで空手を検索していると、たまたま自宅近くに東京ベイ港支部の道場があったため、通い始めるキッカケになった。母・裕美子さんによると、「他の習い事は嫌だと言っていましたけど、空手だけはやりたいと言ったんです」と張り切っていたと言う。最初の2、3回は泣いていたようだが、やがて慣れていくと熱心に取り組むようになる。そして、リーダーシップを発揮するようになっていった。現在は、順調に青帯へ昇級。第8回東京佐伯道場交流大会の型・幼児の部で優勝すると、同第9回大会では小1初級の部でベスト8に入っている。少しずつ実力をつけてきたこともあり、将来は「世界チャンピオンになりたい!」と目を輝かせた。
息子の成長に刺激されたのは、父・淳司さんだった。学生の頃からスポーツで頭角を現し、大学・社会人とラクロスの選手として活躍した。全日本選手権で7回の優勝、2006年には、日本代表としてワールドカップに出場している。一流のアスリートとして業界を牽引していた時代もあった。だが、両ヒザをケガしてしまい、手術をすることに。手術は成功したものの、一線を退く決断に迫られた。激しく走るスポーツで、ヒザのケガは致命傷になる場合もある。ましてや一線級となれば、なおさらだ。結局、ラクロスはこれまでとは違った形で接するようになっていった。ところが空手を通じて息子が逞しくなっていく姿に触発されたのか、アスリートの血が騒ぎ始めていく。息子が始めた1年後、父親も道着の袖に腕を通すこととなった。
「見るのとやるのは、全然、違います」と苦笑する淳司さんだが、そこは元一流アスリート。すぐに順応ができるようになり、突きで前へ出る組手スタイルを確立し、緑帯に昇級すると、2013年2月24日に開催された第3回総本部交流大会のシニア男子30歳以上40歳未満重量級チャレンジで準優勝、同年6月2日に行なわれた川崎東交流試合でも、壮年男子35歳以上42歳未満中・上級の部で準優勝に入賞した。少ないキャリアを考えれば、十分な成果を叩き出したと言えよう。
3人目は、母・裕美子さんだった。裕美子さんもラクロスの選手で、淳司さんと同じように大学、社会人ともに真剣に取り組んでいたと言う。出産後もラクロスを続けるほど、身体を動かすことが好きだったようだ。運動が大好きな母親の前で、息子と父親が空手に魅了されていく姿を見て、触発されないはずがない。指導員の亜翠佳先生からも「お母さんも、やりましょう」と誘われていたこともあり、心を揺さぶられる日々が続く。「下の子がいたんで、なかなかできなかったんです……」という理由が背景にあったため踏み切れなかったようだが、ついに2012年3月、道場で知り合いになったママ友とともに入門を決意した。こうして3人の空手ライフがスタートすることとなる。青帯を取得し、母親も奮闘中だ。妹の友結香ちゃんは、まだ空手を習っていないが、家族3人がやっていれば始めるのも時間の問題だろう。
夫婦で組手稽古(スパーリング)をすることもあり、裕美子さんは「思い切りできるから楽しい」と話し、「こっちはやりにくいですけどね」と淳司さんは苦笑い。それでも楽しそうに微笑み合い、むしろ夫婦円満につながっているのかもしれない。
仕事や家事、学校をそれぞれがこなしながら、空手の稽古・試合に取り組む多忙な山中ファミリー。空手という共通の話題ができたことで、家族の絆はさらに深まっているようだ。空手によって健康になり、礼儀・礼節はもちろんのこと、人を思いやることで人生が豊かになっていく。こんなに素晴らしいことはない。そして一人よりも二人、三人……と仲間が増えていけば、空手は10倍、いや100倍は面白くなっていくはずだ。
山中ファミリーの素敵な笑顔が、それを証明しているようでもあった。
当面の目標は、父と子ともにカラテドリームカップに出場して入賞すること。また家族揃って黒帯になることが、究極の夢でもあると言う。世代を越えて共通の夢を持てるなんて、空手ならではのことかもしれない。