カラテトランスフォーマーPROFILE

 「職場では、私がフルコンタクト空手の道場へ通っていると打ち明けても誰にも驚かれないんですよ」

 大手広告代理店の電通に勤務する切明畑孝門(きりあけはた・たかと)さんは、そう言って苦笑した。高校・大学時代にはラグビーで肉体を鍛え上げ、社会人になってもトライアスロン、水泳、マラソン(フル=3時間26分、ハーフ=1時間31分)に挑戦しているため、立派な体躯をしている。上背もあり、57歳とは思えないほど凛々しく若々しい。アスリートとしての雰囲気を身にまとっているためか、たしかに空手家と名乗っても不思議ではない。

 東京ベイ港支部に入門したのは、2012年8月。2年で6級に昇級した。支部での存在感が帯の色以上に際立つのは、裏方として極真空手を支えてきたからだろう。

 空手と接点を持つようになったのは、20年近く前まで遡る。ちょうど世田谷・杉並支部の塚本徳臣支部長が第6回世界大会で史上最年少チャンピオンとなり、厚木・赤羽支部の鈴木国博支部長とライバル争いをしている時からビジネスで関わるようになった。

「私は電通という会社でスポーツビジネスの仕事に20年間携わってきましたので、たくさんの格闘技関係者と会いました。そういう環境のなか、当時、まだ代表に就任していなかった緑健児さんからも大会のテレビ放映に関する相談を受けたことがありました」

 それからというもの緑代表とは、年賀状のやり取りをする仲となる。また新極真会には昭和32年生まれの同世代に三好一男副代表、長野支部の藤原康晴支部長らがいたため、次第に意気投合していった。学生時代には大山倍達総裁がモデルになったマンガ「空手バカ一代」を熟読していたこともあり、空手への憧れも再燃しつつあったようだ。

 だが8年前、最愛の妻・美奈子夫人がガンで他界してしまう。当時は長男の力(りき)さんが19歳、次男の良(りょう)さんが高校生だったこともあり、スポーツ局からコーポレート系のセクションへの異動を希望し、生活基盤を立て直すこととなった。スポーツ局から担当が外れても、緑代表には全九州大会、三好副代表から全四国大会、藤原支部長からは長野県大会へ招待を受け続け、仕事を越えた深い絆を感じていたと言う。大会観戦後は恒例のゴルフで汗を流し、「公私の“私”のほうが増えていきました」と振り返る。

 それからほどなくして、同僚の佐藤潤さんが、東京ベイ港支部へ入門した。これまで何度もたくさんの師範や先生から新極真会への入門を勧められてきたが、その度に“友人関係が崩れるのが嫌だから”とやんわりと断ってきた矢先のこと。師弟関係になれば尊敬する存在として過剰な意識が出てしまい、友人関係に影響を及ぼすかもしれない。そんな悩みを抱えている時に、「佐藤さんがスルッと入ってしまったんです」と転機が訪れる。裏方として同じ立場のはずの佐藤さんが入門し、断る理由が消えていく。さらにゴルフ仲間が次々と入門することとなり、「完全に外堀を埋められていったんです(笑)」と覚悟を決めつつあった。

 そして決め手になったのは、佐藤さんと一緒にゴルフした時のことだ。佐藤さんが柔軟体操をしている姿を見て、体力に自信があった切明畑さんは自慢するようにマネをしてみた。ところが、身体が硬くなっていて柔軟がうまくできない。この時の悔しさが引き金となり、ついに入門を決意することとなった。入門先は、佐藤さんと同じく会社帰りに寄ることができる東京ベイ港支部だった。

「最初は、空手をナメている部分があったと思います。体力には自信があったので、少しやれば、すぐにできるようになるだろうと思っていました。でも、見るのとやるのは大違いでした。稽古をやればやるほど、難しいことが分かりました」

 心配していた師範たちとの付き合いの影響は、「小井ちゃんと呼んでいたのが道場では小井師範になっただけで、まったく問題はありませんでした」とクリア(?)され、入門して7ヵ月後には総本部交流大会に出場することとなる。体力を買われ勢いで大会に出てしまうところが、なんとも豪快な切明畑さんらしいが、闘いの場は決して甘い世界ではなかった。

「周りは回れ回れと指示していましたけど、まだ始めたばかりでしたから回り方なんて教わっていません。それに一般ではなくシニアの部に出場しましたから、もう少しフレンドリーに闘うのかと思っていたんです。でも、さすがに史上最強を目指す団体です。試合でアバラをやっちゃいました」と空手の洗礼を受けた。それでも負けず嫌いの性格が顔を出し、同僚の佐藤さんが同大会で1勝1敗の成績を残していることも背景にあったため、闘志に火がついたようだ。

「この場で宣言しますけど、来年の総本部交流大会に出場します。2年間の成長を見てみたいので」と2015年の総本部交流大会へのエントリーを公約した。ここまで遠回りをしたが、やはり生粋のファイターなのだろう。いまは空手道を驀進中だ。

「空手は、究極のスキンシップ。年功序列とか関係ないし、年下や女性に殴られても、『押忍、ありがとうございました!』と感謝して頭を下げる世界です。そして稽古が終われば、仲間と仲良く空手談議。こんなに面白くて、楽しい世界は他にありませんよ。それに佐藤さんともよく話しますが、新極真会の人たちと接していると元気をもらえるんですよね」

 50歳を過ぎて空手に魅了された電通マンの夢は、定年退職後、全国の新極真会の道場で稽古をつけてもらうこと。年齢よりも若く見えるのは、きっと空手が生活の軸にあるからなのかもしれない。