父親が自衛官だった宮尾陽一さんは、幼少の頃から日本全国を転々としてきた。体は大きいほうではなかったが、人一倍、正義感が強く、弱い者の味方になることをポリシーにしてきたという。大学時代は学生運動の真っ只中で、熱血派の宮尾さんは「スポーツをしている暇がない」ほどの多忙な日々を過ごす。その一方で、医者になって海外で困っている人を助ける夢を抱き、千葉大学(医学部)卒業後は本格的に医療の道へ進むこととなった。
大きな影響を受けたのは、小学生の時に読んだアルベルト・シュヴァイツァー(ドイツ出身のフランスの神学者・哲学者・医者)に関する本。「その本を読んで以来、未開の地で病気と取り組むことに魅力を感じていました」と宮尾さんは語る。外科医(消化器・乳腺)となって千葉県内のいくつかの病院で勤務した後は、長野県の病院に配属。そして、かねてから希望をしていたNPOやNGOの国際的な民間の医療・援助団体が行なっている海外への医師派遣求人に志願し、アジア・アフリカ諸国で苦しんでいる患者を助けることがライフワークになっていった。そこで目にした光景と経験は、宮尾さんの原点にもなっている。
「夢は実現しましたが、日本と派遣国の医療の違いの現状に愕然としました。たとえば、世界にあるCT機器の半分は日本にあると言われていますが、タンザニアには数台しかありません。1日に何度もCT検査を受けて病気の不安を取り除く日本人と、頼れる器械も医者も薬もないところで子供たちがポロポロと死んでいくアフリカの人々が、同じ時代に同じ地球上で共存している。この違いはなんだろうかと思うようになりました」
ちなみに厚生労働省が発表している、日本の65歳以上の一人当たりの1年間の平均医療費は約70万。反面、海外では約100~1000円の国もある。日本と海外の医療後進国の格差は、周知の事実ではあるが、実際に現場で直面するとその衝撃は大きかったことだろう。宮尾さんは、さらに日本と世界の医療格差について次のようにコメントしている。
「日本では治る病気やケガでも、海外だと対応できない国もあります。医療費の問題もありますが、医療器具や医師不足は深刻です。日本で育った私たちは、当たり前のように電気、水道、ガスなどを利用しています。近くのコンビニへ行けばなんでも揃っています。でも水は出ないし、電気もつかない場所が、この地球上にはたくさんあるんです。そうした現状を知ることが、私たち日本人には大切なことではないでしょうか」
国際派のドクターとしても活躍する多忙の生活な中で、宮尾さんは60歳を過ぎてから品川道場へ通うようになる。これまでにも長野の北斗会館で2年間、空手を学んでいたことがあったが、7年前に都内へ引っ越してきてからは道着の袖に腕を通すことはなかった。だが自宅の近所に品川道場の看板を見つけて、心が揺さぶられる。60歳からのリスタートになるが、迷うことなく入門を決めた。
「空手は自分との闘いです。相手もいますが、技をいかによけて反応できるか、自分の反射能力の問題になります。そこが魅力ですね。もちろん海外へ行った時の護身にもなりますが、それよりも身のこなしが軽くなる感覚があります」
稽古では、若い道場生と同じメニューをこなす。「歳だからと手加減されたり、組手で息が切れて、小井師範に休むように指示を受けた時は、正直悔しいですね」と苦笑する宮尾さんは、すべてにおいて全力を尽くす闘うドクターなのだろう。
現在は、長野県の病院で働いているが、週末になるとわざわざ都内へ戻って来て品川道場で汗を流している。「小井道場は、ここにしかないですからね。道場の仲間に会うと、みんな兄弟みたいな感じで、ホッとします。体だけではなく、心もほぐれていきます」と満足そうに笑った。まだ青帯だが、将来は黒帯を目指している宮尾さん。63歳の彼の闘いは、国内外で長く続きそうだ。