赤坂で歯科医院を開業している西山英史さんは、昨年10月にオープンした東京ベイ港支部赤坂道場の第1号の道場生だ。年齢は現在、44歳。空手をスタートする年齢としては、決して早いほうではない。それでも西山さんを突き動かしたのは、なんだったのだろうか。
「小さい頃から、空手に憧れがありました。でも、中学・高校は空手部がなかったんで、他の部活に熱中し、全国大会にも出場しました。強豪校だったので、練習はとても厳しかったことを覚えています。大学時代は歯科医になるための勉強で多忙でしたので、空手とは縁がなかったのかなと思うようになっていきました」
何回か空手の道場を見学することはあったが、独特の雰囲気に馴染めず、入門を決意するまでには至らなかった。ケンカに強くなりたいわけでも、大会で活躍する選手を目指すわけでもない。ただ、自信をつけること。その目的だけでは、敷居が高かった。
アメリカで歯学の勉強をしている時も、その気になればボクシングや総合格闘技など他の競技を学ぶ機会はあったようだが、空手しか興味がなかった。それは道を追求することが、真の強さを得られることと信じているからだと言う。 帰国後、空手からは遠ざかってしまったが、赤坂へ西山デンタルオフィスを開業した。じつは、その時も自宅近くの空手道場を見学したが、やはり雰囲気に戸惑い、入門を断念している。運動は、フィットネスジムで続けていたが、「私は、これをやっていますという軸がほしかったんです」と空手への思いは月日とともに膨らんでいった。 再び、空手の引力に吸い寄せられたのは、赤坂道場の入会案内が、自宅とオフィスにそれぞれ届いてから。二つの入会案内を並べ、「運命を感じました」と苦笑する。オフィスから歩いて、わずか数分のところに空手道場がある。西山さんが勇気を出して道場へ足を踏み入れると、小井師範と谷口先生が優しく迎え入れてくれた。「小井師範は、初めて会った私なんかにも、とても丁寧に対応をしていただきました。谷口先生も明るく素敵なかたで、見学したその場で入門を決めました」と西山さんは、当時を振り返る。 ダムが決壊したように空手への思いが爆発した西山さんは、通える時は、週2回も道場で汗を流すようになる。もちろん経理・人事・社長業・技術者といった何役もこなさなければならない歯科医院は激務で、それに加えて学会や講演の準備、専門誌への執筆なども行なっている。それでも空手をする時間だけは、確保しているからさすがだ。「フィットネスジムで走っていると、つい仕事のことを考えてしまいます。でも空手をやっている間だけは、仕事のことを忘れることができるんです」
日々の生活の中で、リセットすることは大切だ。空手の稽古でストレスを解消し、リセットする時間も同時にできているのだろう。唯一の心配は、ケガだと言う。手先の細かい作業が要求される歯科医は、手や腕を負傷したら業務に支障が出る可能性もある。同じ歯科医の妻も、それは心配しているらしいが、当然のことだろう。
「広井先輩には、よく稽古で使う拳サポとは違い、指が覆われているグローブタイプのサポーターを勧めていただきました。初対面の私なんかに、丁寧にご指導いただけるなんて、とても驚かされました。強くなると周りに優しくなれるといいますが、小井師範、谷口先生、広井先輩や道場の先輩方は、みなさん気配りのできる優しい方ばかりです。自分も、空手をやっていると胸を張って言えるような人間に、早くなりたいですね」
父親は、ある出版社の経営者。長男の西山さんが後を継ぐのが自然の流れだが、あえて歯科医の道へ進んで開拓者となったのは、強さへの憧れがあったからに違いない。 取材した時にもらった西山デンタルオフィスの名刺には、「―すべての歯科治療に審美を―」と書かれていた。審美とは、「自然や美術などの持つ、本当の美しさを的確に見極めること」である。美しさを極める。その道は、空手に通じるものがあるのかもしれない。
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